第三十三日目 Sardon de Duero(スペイン)泊

今日はスペインの憲法記念日で休日。低排出車の規制がないので、ゆっくり出発できる。バルセロナからは無理すれば一日で帰宅できるが、11時間から12時間運転しなければならない。途中のSardon de Dueroで一泊することにした。途中、Tarazonaで休憩。どんなところなのか、事前情報はゼロ。

到着すると随分と賑やかだ。街の入り口付近の駐車場(或いはただの空き地?)にはキャンパーバン(キャンピングカー)が何台も駐車して、マウンテンバイクに乗った人があちこちに。何かイベントでもあるのかしら? 中心広場も賑わっている。こぢんまりとした街を散策してから広場のカフェバーでビールとエビと白魚の天ぷらで遅いお昼。

迷路の様な裏道は楽しいのだが問題も...。臭いのである。崩れるままに放置された廃屋は野良ネコの住処になっているのだろう。立ちションする人も多い様だ。街角の陰は特に臭い。犬のフンもたくさん落ちている。路上で見かける半乾きの液体は踏みたくない。

第三十二日目 バルセロナ泊

バルセロナといえばサグラダ・ファミリア。40年近く前に来た時よりは随分と工事が進んでいる。前回は中に入らなかった様な気がする。未だに工事が続いているが、内部も外部も博物館も十分見応えがあった。内部のステンドグラスや採光は圧巻。全て見て回るのに午前中を費やした。

グエル公園にも足を運んだが、こちらは入場券が売り切れで入れなかった。バルセロナに住むポーランド人に、思ったよりはすごくないし入場料も高すぎる、と言われた。丘の上からはバルセロナ港が見渡せた。この港から、一ヶ月前にフェリーに乗ってイタリアに向かったのだ。

午後はミロ美術館へ。こちらも素晴らしかった。スペイン村にも足を伸ばしたかったが、残念ながら時間切れ。バルセロナの旧市街であるゴシック地区を散策してから、友人の和食レストラン縁樹で夕食。サンツ駅から徒歩2分。地元スペイン人に人気のレストランだ。シェフはもちろん日本人。久しぶりの本格和食、おいしかった!

Taberna Japonesa/Sushi
Enjyu
C/Vallespir 28, 08014 Barcelona
Tel: 93 546 1094

第三十一日目 バルセロナ泊

4日間で4回、一日1回、国境を越えてきた。連日の国境越えは記録かも。今日はフランスのグラースから、スペインのバルセロナへ。私は助手席に座っているだけだが(時々寝ているし)、連れ合いはずっと運転をしている。途中、休憩にBeziers(フランス)に寄る。

Beziers郊外で開催された国際女性団体の集まりに参加するため、ポルトガルに移住する直前に一度、来たことがある。Beziersには食料の買い出しで来たことがあるだけ。街はクリスマスの飾り付けとクリスマスマーケットで賑わっていた。流石にフランスだけあって(?)センスがいい。

バルセロナ到着は夜20時過ぎ。実はバルセロナ中心地が低排出ゾーンだということを昨日まで知らなかった。バルセロナでは車の盗難が多いらしいので街中の駐車場付きホテルを予約していた。お値段も高い。これで市内に入れなかったら大変だと、調べてみると平日の7時半から20時まで低排出車が進入できないということがわかった。

チェクインしてから出かける。ホテル近くの飲み屋で小皿料理とワインの夕食。バルセロナの他の地域はわからないが、この辺りでは中国系の人がやっているタパス屋が多い。メニューはスペインのスタンダードから中華まで。とっても愛想の良いお姉さんが給仕をしてくれた。上海の出身だという。

第三十日目 グラース(フランス)泊

ニース大学で夏季フランス語集中講座をとったことがあった。留学先のカナダの学校でフランス語は必修だった。話せなかったわけではないけれど、ちゃんと話せるという実感もなかった。集中講座に行けば、少しは改善するのではと期待していた。5月末に夏休みに入るとすぐにフランスに飛び、6月中はパリ郊外のユースホステルで掃除をする代わりに無料で宿泊させてもらいながら、パリのAlliance Françiaseに通った。

宿泊者のチェックアウトが終わるとすぐに掃除を済ませて、学校に向かう。昼過ぎに授業が終わるとサーカス学校でバレエとコンテンポラリーダンスやアクロバット(!)の授業に出た。

7月のニース大学での授業に間に合う様に、パリからニースまでヒッチハイクで移動。一晩、田舎の農場で野宿した記憶がある。ニースについてから駅近くで見つけた安宿は、中年(?)の女性が一人で経営していた。30匹以上のネコがいて、その中の1匹は「ミケ」と呼ばれていた。

授業は昼過ぎまでで、放課後は大学のクラブであるコンテンポラリーダンスや演劇のワークショップに無料で参加することができた。大学のプールも無料で使えたので、ダンスのクラスがない時には泳ぎに行った。ニースの海で泳いだことはなかった。

第二十九日目 ボローニャ(イタリア)泊

起きると霜が降りて一面、真っ白。昨晩の天気予報では最低気温はマイナス4度だった。車が凍りついていた。

今日はスロバニアからイタリアへ国境を越える。EU内なので移動は自由。入国管理の係官はいたけれど、車のポルトガルナンバーを見ると停車しなくていい、進んで、と身振りで言われてそれで終わり。

今日はボローニャに住む友人を訪ねる。彼女の仕事が夕方まであるので、途中、Vicenzaに寄って17時到着を目指した。

スロバニアの宿
途中で寄ったイタリアの八百屋さん
Vicenza街中のオブジェ
Vicenzaのクリスマスマーケット

 

第二十八日目 スロバニア泊

友人に別れを告げて、アドレア海の海岸線を北上。Zadarを見て、Senjを通る。今日も豪風(!)である。海岸線を通る道路は豪風で通行止めになることがあると聞いていたので心配したが、このくらいの風はこの辺りでは普通? 車の外に出ると吹き飛ばされそうになるのだが、通行止めはなかった。停車すると、風で車体が揺れる。

海面は砂漠の砂嵐の様。沸騰した湯から湯気が出る様に、海水が湯気の様に吹き上る。風が吹き荒れる中を半日運転して黄昏時にスロバニアに到着。スロバニアはEUではあるが、入国はちょっと心配していた。他のEU各国と同様、パスポートのチェックもなかった。

宿に着く頃にはもう暗くなっていた。一軒だけぽつりとある宿で、歩いて近くの村のレストランに行く。

宿の部屋は暖かかったが、共用のリビングを通って行くバスルームは寒くて、お湯は出たがシャワーは浴びられなかった。

写真は上から

Zatarのクリスマスの飾り
途中で見た橋
水が噴き上がるアドリア海
スロバニアのレストラン。この後で家族連れが入ってきた

 

第二十七日目 Biograd na Moru(クロアチア)泊

友人の案内でBiograd na Moru近郊を訪ねて回る。風は相変わらず強い。Kamenjak頂上から淡水湖(Vrana湖)と海(アドレア海)を同時に見た。風に吹き飛ばされそうになりながら、頂上を一周する歩道を歩いた。

木製ヨットの青空博物館(港に繋いであるヨットを見て回る)と数世代にわたって木製のヨットを作ってきた造船所が自宅を改造したヨット博物館へ。地元オリーブオイルの搾油所を回るともう、昼は15時。遅いお昼は地元で有名な子豚と子羊の丸焼き(!)専門のレストランへ。毎日、5頭の子豚と子羊を焼くのだという。

写真は上から

Kamenjak頂上のリリーフ
Vrana湖(淡水湖)とアドレア海
Betinaのヨット青空博物館
Mutarのオリーブオイル搾油所

 

第二十六日目 Biograd na Moru(クロアチア)泊

Spritから友人が住むBiograd na Moruまでゆっくりと海岸線を北上する。昨日の大雨が上がったと思ったら、今日は強風。途中、クロアチア最大の湖Vrana Lakeに寄ったが、あまりの強風でゆっくりと写真を撮ることもできなかった。気温はそんなに低くないのだが、寒い!

夕方になると風が静まった。暗くなるまでBiograd na Moruを散歩した。観光客がいない街は静かだ。海は青く、透き通っている。クロアチアはスペインと同じ時間帯なので、陽が沈むのが早い。15時半になると暗くなり始めて、17時くらいになると何だか夜の9時くらいの気分になる。

写真は上から
二日泊まった眺めの良いアパート
強風で波立つクロアチア最大の湖Vrana Lake
Biograd na Moruの街並み
Biograd na Moruの海岸

 

第二十五日目 Split(クロアチア)泊

夕方から大雨の予想だったから朝、早めに起きて市場に向かった。魚市場で夕食用の魚を2尾、青空市場で野菜を買い込んでいるうちに雨が降り始めた。目の前にあったカフェで雨宿りしていると、あっという間に豪雨に。

周りを見回すと、すぐそばのテーブルには中年男性二人が座っておしゃべりをしている。その隣には若い男性が一人でコーヒーを前に、タバコを吸いながらスマホを見ている。横には女性が一人で座って、タバコを吸っている。中年男性のテーブルには友人が来ては喋って、コーヒーを飲んで、去って行く。貧しい身なりのおじさんと目があった。身振りもはっきりしないのだが、寄って来るとどうやら三つ編みに編んであるニンニクを売ろうとしているようだ。必要ないと身振りで断る。タバコをくれと言われたようなので、吸わないからと断ると若い男性のところに行った。見ていると、どうやら同じテーブルに座っていいかと聞いたようだ。若い男性は「どうぞ」と言うような身振りをして、おじさんが座ると少し話してからおじさんのために大瓶のビールを注文した。おじさんは、私たちに背中を向けて座っているが、時々振り向いてはお腹が空いている、何かくれないか、と言うような身振りをする(多分)。

第二十四日目 Split(クロアチア)泊

ドゥブロヴニクを出発する前に、スルジュ山頂にあるナポレオンが建てた(建てるように命令した?)インペリアル要塞にあるクロアチア紛争博物館を訪ねた。セルビア・モンテネグロの侵略への抵抗拠点になった要塞である。建築途中(修復作業中?)だという要塞も展示物からも当時の様子が生々しく伝わってくる。山脈の向こうはボスニア・ヘルツェゴビナ。ドゥブロヴニクを見下ろす要塞の周辺でも激しい戦闘が展開されたのだろう。

そして、Splitへ向けて出発。有料高速道路は使わずに、できるだけ海岸線に沿ってゆっくりと北上して行く。お昼はパンとチーズでピクニックを考えていた。良さそうな場所を探していたら、連れ合いが突然、道路脇に車を停めた。「どうしたの?」と聞くと、ピクニックの場所が見つかった! と言う。海は見えるが、テーブルもベンチもどこにも見えない。駐車した場所から、海に向かって降りて行く小道がある。そこの下に、いい場所が見えたと言うのだ。何だろうと思って行くと、海の中に突き出た岩の上のベンチ! よくこんな素敵な場所が目に入ったものだ。

宿はベランダから旧市街や港などSplit全体が見渡せる。こじんまりとした街だが、フェリーが頻繁に出入りする港には活気がある。普通に人々が暮らしているような街だ。今回の旅で初めて旅人であると実感してホッとした。

写真は上から

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