ジャッキー・バステック

ギター職人の友人を訪ねて、彼が作ったギターを弾いているジャッキーがドイツから訪ねてきた。彼女はギタリストであり、シンガーソングライターでもある。

年若いのにすでに十分に才能は開花している感じ。ギターを体の一部のように扱う。

一週間ほどの滞在中に、ウチにも遊びに来た。写真はタブアのグリーン・ビーンカフェでリサイタルを開いた時のもの(7月29日)。

 

ジャッキーのリンク: https://www.jackybastek.com/about-1/

グリーン・ビーン:https://www.facebook.com/greenbeancoffeehouse17/

イベリア半島の記録的猛暑

ヨーロッパの過去最高気温48度(1977年、ギリシャ)には及ばなかったが、アフリカから流れてきた熱波の影響で、ポルトガルでは最高気温が40度を上回った。

天候不順で例年になく雨が長引き、7月29日までは「冷夏」(最高気温が28度前後、夜は15度前後)で、いったい夏はいつ来るのだろうかと話していたのに、7月30日、31日と気温がどんどん上昇、8月2日にはとうとう40度を超えた。

ポルトガルの過去最高気温は2003年の47.4度。記録更新とはいかなかったが、うちのあたりでは連続5日間42度から44度の高温となった。

サハラ砂漠の砂で、空は薄い黄土色。吹いてくるのは熱風。真昼は家の中で何もせずにじっとして、ただ、耐えているしかなかった。

ちなみにうちのあたりは8月1日が38度、2日42度、3日43度、4日43度、5日44度、6日40度となっている。7日には熱波が通過したため、30度まで気温が下がった。

皆既月食 7月28日

この日、この辺りでは皆既月食の最中に満月が昇ってきました。ベランダの真正面から昇ってくる! と思っていたのですが、ちょっとずれていました。それでも友人を招いてワインを飲みながら鑑賞しました。

手振れのせいでこうなったのですが、不思議な写真が撮れたので、お見せしますね。

 

トレシュ・ヴェドラシュ/写真

このブログでは、写真が一件につき4枚までしか添付できないので、もう4枚、トレシュ・ヴェドラシュの写真をお見せしますね。

写真は上から

大砲の実演

火縄銃の実演(種子島に来たやつかも!)

軍営地の様子。テントの前に5リットル入りのワインボトルがあるのがポルトガルらしい(真ん中のテント)

軍営地の様子。軍営地では女性たちも働いていた様子だ。

トレシュ・ヴェドラシュの新・侵略芸術祭と中つ世(なかつよ)の祭り

 

リスボンから北に約50キロ。その昔、アラビア語を話すイスラム教徒ムーア人が定住していたため、街にはムーアの城の遺跡が残っている。また、1800年代には英ポ軍が仏軍を破った半島戦争の舞台にもなっている。戦いに備えて英国はトレシュ・ヴェドラシュ防御線を設置した。その一部も保存されている。

このトレシュ・ヴェドラシュでノバ・インヴァソインシュ(新・侵略)と銘打ったアートフェスティバルが隔年、開催される。今年はその第3回目で、日本がテーマ。日本の映画や「日本と日本人」「日本に住む・学ぶ」等の講座やカンファレンスと共に客演として舞踊家の田中泯さんとJET三味線オキタさんが招待された。公演は野外で行われ、入場料などは取られない。

メインの日本関連行事以外にも、恒例の中世期を模倣した市場や中世の砦での歴史的イベントの再演など盛りだくさん。ポルトガルの祭りは山ほどあるが、これはかなり楽しめた。なにしろ地元住人が中世風のコスチュームを身に着けて、路上や広場でたき火を起こして作ったスープや揚げパンを売るなど、町中がどこも中世なのだ。毎日、夜半まで賑わっているので朝はゆっくり。街の中心にある教会の回りに立つ市場は昼過ぎ頃からぼちぼちと店を開ける。

聖ヴィンセント砦には軍の野営地が設置され、日に数回、火縄銃や大砲の実演が行われた。

和食ワークショップ

 

シュタイナー・スクールの生徒と在宅教育(ホーム・スクーリング)を受けている子供たちを対象に、和食のワークショップをやった。メニューはどんぶりもの。菜食やヴェーガン(動物由来のものを食べない。卵、牛乳、チーズも不可)の子どももいるので、使える食材は制限される。アボガドをマグロに見立てた「アボガド丼」で、ヴェーガンの子供以外は食べられる和風卵焼きも作った。

デザートは前日に、隣のアリスと一緒に作ったカステラの原型パオン・デ・ロー。卵も砂糖もたっぷり使ってふっくらしっとりときれいに焼き上がった。ヴェーガンの子供はこちらも食べられなかったが、和気あいあいと、時には真剣に子供たちは調理に没頭。満足げだった。(10月11日)

 

写真は上から

真剣に包丁を使う

きちんとノートも取っている

大満足の昼食会!

隣のアリスにパオン・デ・ローを伝授してもらう

10月15日の大火 証言

 

ブランシュ:避難の準備は万全だった。馬は専用のトレーラーに乗せたし、手伝いも頼んだわ。夫は出張で不在で娘と二人だけだったから。

だけど、頼みにしていた3人が来られなかった。それでも、トレーラーと乗用車を交代で運転しながら、一人でも安全な場所まで行かれるだろうって思っていたのよ...。火があんなにすごい速度で移動するなんて、考えてもいなかった。

あっという間よ。家が炎に囲まれて何も持ち出せなかった。馬は放したわ。2頭とも、ものすごい勢いで丘に向かって走り去った。まだ若くて体力があるし、本能があるから...生きていてほしい。

それからは無我夢中だった。娘を車に乗せて、両側が火の壁になった道路を必死で走り抜けた。ペドロガオンが思い浮かんだわ。5分遅れていたら逃げ切れなかったと思う。ああ、ヤギも子豚も鶏も、置き去りにするしかなかった。

(ヤギと子豚は奇跡的に生き延びた。鶏は全滅。馬は一頭が死体で見つかったが、もう一頭は2ヶ月経った現在でも、行方はわからない。)

運命の一夜 10月15日の大火

 

真夜中の逃避行から一週間。雨はまだ来ない。空気も大地も乾燥しきっていた。雑草も下草も茶色に変色し、木々はほこりをかぶってうなだれていた。ポルトガル南部ではダムが干上がり、深刻な水不足となっていた。10月半ばだというのに、最高気温は35度から40度。いつどこで火災が発生しても不思議ではない。火が出ればあっというまに広がるだろう。連日、午後になると熱い風が吹き荒れる。周りを見回してどこにも煙が上がってないことを確認すると、5分くらいは安心できた。消防署のサイレンが鳴ったり、消防ヘリコプターや消防機の音が聞こえればベランダに出て周りを見回し、山火事サイトをチェックした。

10月15日日曜日。いつものようにタブアの市場に出かけ、ベンフェイタに住む友人のマーティンと一緒に帰宅した。彼は一週間前に遊びにくる予定だったが、先週の森林火災で延期になっていた。

午後14時半頃、扇状に広がりながら流れてくる煙に気がついた。山火事の発生状況を即時に更新するfogos.ptを見てみると、火元はベンフェイタ方面で先週の火事が再燃したらしい。家からは直線距離にして15キロ程の場所だ。マーティンは、家が心配だと帰宅した。

真夜中の逃避行

 

10月に入ってポルトガルでは異常気象が続いている。雨が降らない。4月以降、雨がぱらついたのは一度だけ。連日35から40度を超える暑い夏を経て乾燥しきったポルトガル大陸部では大規模森林火災が多数、発生していた。

10月6日夜23時21分、ポルトガル中部に位置するベンフェイタ村から直線距離で6キロ程の、アソール山脈自然保護区の南カスタニェーロ・ダ・セーラで火災が発生した。

10月7日、風光明媚な谷間の村ベンフェイタの広場では朝から定例の手工芸品や有機農産物の市場が開かれていた。この村は一時期、過疎化が進んで寂れていたが、オランダ、英国、ベルギー、ドイツなど北ヨーロッパの移民が「再発見」してから、周辺の山間部に点在する集落や森林部への移住者が増えて活気を取り戻した。

この日、市場は開かれたものの、ゆっくりと頭上を流れるぶ厚い煙が気になって、落ち着かない。ポルトガルに移住して長いドイツ人バーバラは、「山火事を恐れながら暮らすのはもう、いや」と言う。数週間前にはベルギー人のトムが引っ越すことを考えていると言っていた。

お知らせ/週刊金曜日

週刊金曜日1147号(8月4日発行)にペドロガオンとポルトガルの森林火災の記事が載りました。短い記事ですが、読んで頂けると嬉しいです。

http://www.kinyobi.co.jp/

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