新年の温泉旅行 その1

久しぶりの小旅行。南に行こうか、北に行こうかと考えた末、北の温泉に向かうことに決めた。

第1日目。最初に向かったのはソアージョ。ポルトの北西、スペインとの国境近くの村である。ここには、エスピグエイロシュと呼ばれる、トウモロコシを貯蔵する倉がある。同じようなスタイルの倉そのものは、地方によってはそんなに珍しいものではない。けれど、村の一箇所にまとまって建てられているものは見たことがなかった。

ペネダ山脈国立公園に入っていくと、2週間前の豪雨の影響がまだ残っているのだろう、あちこちにプチがけ崩れや大雨の後にだけ現れる小さな滝が見えた。

...と、あれは何だ? 大きな角を持った牛が、道路を歩くのは当然といった風情で、悠々と道路を歩いているではないか...。かなり立派な角である。雄牛に違いない。追いかけてきたりしないのだろうかと恐々と写真を撮った。でも、牛たちは慣れているようで、ちょっと顔を上げて振り向くとまたすぐに道路脇の雑草を食べ始めた。後になって、友人からあの地方には「野生の牛」がいるのだと聞いた。実際には家畜なのだが、放牧されているということだった。

対岸の火事ではない、オーストラリアの森林火災

3年間の干ばつに続いて、2019年9月に例年よりも早く始まったオーストラリアの森林火災シーズン。11月に入ってから燃え広がった森林火災は12月末になっても、猛威を振るっている。連日40度を超える猛暑に加えて、強風、大規模な森林火災で生じる局地的気象現象による落雷で発生する新たな森林火災。12月18日にはオーストラリア観測史上最高の国内平均最高気温41.9度を、翌19日には南部で49.9度を記録している。

去年2019年はアマゾン原生林、カリフォルニアと大規模火災が相次いだ。ポルトガルでも例年のように森林火災が発生している。

日本でこのような大規模森林火災が発生する可能性は低いだろう。想像しにくいかもしれないが、オーストラリアの森林火災の影響は、物流の滞りなどとなって、きっと出てくるのだろう。福島の汚染水を太平洋に放流してしまえば、拡散した放射能で海洋生態系に打撃を与えるだろうし、他国の漁業などに影響が出るのと同じだ。人ごとではないのだ。

普段から森林火災に備えて準備することはできるが、原因を元から断ち切ることはできるのか。例え温暖化を否定したとしても、気象の変動は疑いようもない。素人が周りを見回すだけでも、これまでなかったような極端な暴風、豪雨、浸水、極暑、竜巻、乾燥の発生頻度が上がっていることは否定できない。

カボチャとキャベツのコンテスト

ハリケーンの尻尾が強風と共に通り過ぎる中、12月22日にカボチャとキャベツのコンテストが日曜市場で開かれる。

何をもって順位を決めるのかイマイチわからないが、カボチャは大きさと重量が大きな判断材料となるようだ。今年のキャベツはまあまあだった。カボチャはそんなに豊作だったとは聞かなかったが、立派なものが出品されていた。

今年は特別だったのか、地元の合唱団のゴスペルまであった。歌っていた友人によると、昔は村人たちが楽器を持って歌いながら各戸を周り、それぞれの家からチョリソなどをもらって回ったという。

 

写真は上から、

真剣にカボチャのサイズを測る審査員。

日曜市のゴスペル。衣装も昔風で本格的だ。

今度は豪雨と強風!

ハリケーン・エルサが12月19日にポルトガルに上陸、ゆっくりと北上して抜けていった。影響がなくなったのは4日後の22日日曜日。強風がふきすさび、大雨が降り注ぎ、各地で停電や洪水が発生した。 山間部の急斜面に自宅がある友人が大事をとって避難してきた。

運よく家は高台にあるので洪水の心配はないが、4日間、不要な外出を控えて、停電を繰り返す自宅にほぼ、こもりきりとなった。嵐は時々通過するが、豪雨と強風のせいで外出を控えたことは今まで、一度もない。

土砂崩れがあったとか、林道に木が倒れて通過できなくなったとか、家が浸水したとか、山間部は場所によってかなりの被害が出たようだ。一つには2017年10月の火事で焼けた木がまだ全て伐採されていないことがある。それらの木が倒れて、被害が大きくなった。

 

写真は上から、

ポルトガルほぼ全域に警報が出た。

下の2枚は家の下を流れる小川。普段は川幅が2メートルもないのに、すごい勢いで水が流れていった。

氾濫原が広がっていた。

燃えるものは燃やせるうちに

10月半ばから、断続的に長雨が続いている。雨の切れ目で、4日、晴天が続いた。オリーブの剪定で山積みになった枝などもちょうど乾いてきた。焚き火日和である。

せっかくだから、焼き芋も作ろう。

12月なのに、この日は暖かく小春日和。お昼は近くに住む友人を招いて、テーブルを出してベイクド・ポテトのお昼を楽しんだ。

写真は上から

パチパチと音を立てて燃えるオリーブの枝

焚き火全景

ベイクド・ポテト!

 

 

ブレグジット(英国の欧州連合離脱)と国籍取得

「何でこうなる? 信じられない!」 というのが大方、このあたりで暮らす英国人、つまり英国籍の移民の反応である。12月12日の英総選挙のことである。ジョンソン率いる与党保守党が大勝利を収めた。これで来年1月末日、 合意が出来ようとできまいと、 欧州連合(EU)離脱に突き進む可能性が一段と濃くなった(実際には移行期間があるので離脱は来年12月)。

2016年6月の EU離脱を問う国民投票、翌2017年3月の離脱発動法への署名、それに続く終わりの見えない混乱。今回の総選挙での保守派の勝利は英国民のブレグジット疲れの結果のようにも見える。

(自称?)ジャーナリストからロンドン市長、メイ政権下では外務大臣を務め、英国首相にまでのし上がったジョンソン。タイム紙記者の時代には引用をでっち上げてクビになり、テレグラフ紙はジョンソンの不正確な記事の訂正に追われた。ジョンソンが嘘つきだということは、秘密でもなんでもなく、ほとんど「常識」のようだ。ちなみに、ボリス・ジョンソンの嘘というサイトがある(興味がある方はこちらのリンクをどうぞ<https://boris-johnson-lies.com/>。ついでに調べたら、トランプにも安倍にも同じようなサイトが山ほどあった)

フェルトで繕う古いセーター

古くなってしまったお気に入りのセーター。器用な人は繕うこともできるのだろうけれど、あまり器用でない私は、古くなったセーターは切り取ってレッグ・ウォーマーやリスト・ウォーマーにしていた。このベージュのセーター、もう何年くらい着ているのだろう。ボロボロ、とまでは言わないが、かなりくたびれてきた。切り取ってしまうのは忍びない。どうしようかなあと考えている時に、フェルト細工に思い当たった。

元々がウールのセーターだから、フェルトできっと修復できるはず。ということで、手元にあったカード済み(注)の羊毛を持ち出した。

まずは、袖口にプラスチックの台紙を挟み、その上からウールを置いていく。前回のフェルトのワークショップ同様に、プチプチのプラスチックの上に袖口を乗せ、熱めの石鹸水でフェルト化させていく。そんなに大きなものではないので、時間もかからない。30分もすれば出来上がり。左右非対称になってしまったけれどそれも個性。これでまた、数年間はもちそう。

(注)カーディングを終えた繊維。カーディングとは、繊維の方向を揃えるためにやる作業。

写真上から

穴が開いて擦り切れてきた袖口。

カード済みのウールを、台紙を挟んだ袖口に置いていく。

仕上がりはこんな感じ。

オリーブの収穫 2019年 第二弾

最初に搾油をしてから約10日間はほとんど雨模様の天気。オリーブの収穫に最適とは到底言えない。雨が上がっても、木が濡れていれば滑りやすい。オリーブの実を受けるために土の上に広げるシートが濡れても扱いにくい。水とオリーブの油が混じれば滑りやすくなる。今年の収穫はこれまでかなと考え始めた頃に天気が回復した。

実は数ヶ月前から、オランダの友人がオリーブ収穫期に遊びに来ると言っていた。11月半ばならばちょうど収穫もできるし、製油所も経験できるからと、3週目の週末にくる予定になっていた。既に一度収穫は終わってオリーブオイルは絞ったし、今年はタイミングがよくなかったかも、と思っていた。が、もう一度収穫するチャンスが訪れた。

オリーブの収穫 2019年 第一弾

オリーブの収穫は2年ぶりだ。昨年はオリーブの花が満開の頃、強風と豪雨に見舞われて花がほぼ全滅。実がつかなかった。 例年、オリーブの収穫は10月末から11月初旬に始めて2、3週間作業を続け、製油所で油を絞り、11月半ばを過ぎる頃にはしぼりたてのオリーブオイルにパンを浸して幸福を味わう。

今年は天候不順もあって、例年よりも2週間早く、10月なかばから収穫を始めた。長期天気予報を見ると、11月に入ってすぐに雨が降り始め、当分の間は晴れそうになかった。

製油所は今年は11月4日の月曜日にオープンすると聞いた。スティーブが確認に行くとその一週間前から機械の点検を始め、問題なく動くようであれば月曜日に、問題なく動くことが確認できてオリーブの持ち込みが始まればもしかすると週末にも営業を始めるかもしれない、となんともポルトガルらしい答えが返ってきた。

オリーブの木を見上げると、すでに収穫時期に入っている。早めに収穫するとオリーブ色、つまり緑色のオリーブが多くなる。若いオリーブが多く含まれるオリーブオイルは胡椒のような、ピリッとする味がする。遅めに収穫をすると黒く熟した実が多くなり、マイルドだ。油の含有量が多い、熟した実が多ければ多いほど、戻ってくるオリーブオイルの量も増える。

子猫のフィリー

ある村の公民館を借りてやっているダンスのセッションに毎週、通っている。公民館のすぐ辻向かいにはその村の交響楽団の建物がある。内部の床は板敷きで舞台も設置され、昭和時代の小学校や中学校の体育館を思い出させる。その裏手には公園のように整備された林があり、夏の暑い日には木陰でピクニックをする家族がいたり、子供達が遊んでいたりする。時々、キャンピングカーも停まっている。公民館に行く時には、そこに車を停める。

9月半ばのある日、車から降りると交響楽団裏口の屋根の下から子猫の鳴き声が聞こえてきた。きっと捨て猫だ、と思いながら見に行くと案の定。綺麗な青い目の子猫が助けてもらいたいけれど怖いといった様子で、鳴きながら、震えるほどに力を込めて爪をたてて立っていた。近づいて拾い上げようとすると、鳴きながら奥の方に逃げてしまう。よく見ると、片方の目がない。

ダンスが終わって出てくると、ダンスに参加していた母親を待っていた子供達が、どこからか拾ってきた靴用のダンボールの中に暖かそうな雑草の穂を入れて子猫用のベッドを作っていた。子供達は口々にお母さんに子猫を連れて帰りたい、責任を持って飼うからと訴えていたが、「責任を持って飼うと言っても、病気になったら獣医に連れて行くのは私なのよ。子猫の医療費を払うような余裕はないわ」と却下されていた。

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