運命の一夜 10月15日の大火
真夜中の逃避行から一週間。雨はまだ来ない。空気も大地も乾燥しきっていた。雑草も下草も茶色に変色し、木々はほこりをかぶってうなだれていた。ポルトガル南部ではダムが干上がり、深刻な水不足となっていた。10月半ばだというのに、最高気温は35度から40度。いつどこで火災が発生しても不思議ではない。火が出ればあっというまに広がるだろう。連日、午後になると熱い風が吹き荒れる。周りを見回してどこにも煙が上がってないことを確認すると、5分くらいは安心できた。消防署のサイレンが鳴ったり、消防ヘリコプターや消防機の音が聞こえればベランダに出て周りを見回し、山火事サイトをチェックした。
10月15日日曜日。いつものようにタブアの市場に出かけ、ベンフェイタに住む友人のマーティンと一緒に帰宅した。彼は一週間前に遊びにくる予定だったが、先週の森林火災で延期になっていた。
午後14時半頃、扇状に広がりながら流れてくる煙に気がついた。山火事の発生状況を即時に更新するfogos.ptを見てみると、火元はベンフェイタ方面で先週の火事が再燃したらしい。家からは直線距離にして15キロ程の場所だ。マーティンは、家が心配だと帰宅した。
北大西洋で10月6日に発生したトロピカル・ストームは10月11日にはカテゴリー2のハリケーンに発達。オフェーリアと名付けられたこのハリケーンは、10月14日にポルトガル領アゾーレス諸島の南方で大型ハリケーン(カテゴリー3以上)になった。15日未明から勢力は衰え始めたが、異常に東よりのコース、つまりポルトガル本土に沿って強風を伴いながら北上していた。
17時過ぎに、マーティンが戻って来た。火災で道路が封鎖されて帰宅できなかったのだ。ラファの家が全焼したというニュースを運んで来た。この頃には、あちこちで煙が立ち上り、家の周りにも煙が漂い始め、厚い煙に陽が翳ってあたりは薄暗くなっていた。集落の隣人達も路上に出て不安そうに煙で覆われた空を見上げている。消防車や消防ヘリコプターや消防機は、どこに行ったのだか陰も形もない。17時半頃、山火事のサイトを見た時には、ポルトガル全土の火災件数は350件を越えていた。
直後にインターネットが使えなくなった。ケータイの接続も悪くなり、つながっても会話は途切れ勝ちで要領が掴めない。メッセージはなかなか届かない。テレビも、プロバイダーによっては映らなくなった。電気は停電と復旧を繰り返している。
一週間前に一緒に避難したリバーから、これから家を出る、3人とヤギ一頭だが行ってもいいかと電話があった。その後すぐに、オランダ人の夫婦がネコ2匹を連れて避難したいと連絡して来た。
灰が降り始め、黒く焦げたユーカリの葉も風に運ばれて飛んで来た。避難しなければならなくなった場合のことを考えて、車にネコ2匹をそれぞれキャリアバッグに入れてネコ用トイレと一緒に乗せた。大事な書類やお気に入りの冬服、友人の形見のカーペット等々を積み込んだ。まだスペースはあるが、何を持って出ればいいのか判断できない。そうこうしているうちに、ヤギを連れたリバー達と、ネコ2匹を連れたオランダ人夫婦がほとんど同時に到着した。
ウチの集落の住人はほとんどが一人暮らしの高齢女性だ。ウチともう一軒、比較的若い世帯は一晩中、寝ずに山火事を見張るつもりでいる。彼ら一家は避難するつもりはない。火が迫って来たらみんなで集落の真ん中にある教会で炎をやり過ごす計画だ。教会の周りにはオリーブが数本あるだけだから、炎に包まれることはないだろう。村のおばさん達も避難するつもりはない。山火事は速い速度で風下のこちらに向かい、煙がもうもうとしているのに、また明日ね、と帰宅して寝てしまった。驚いたが、考えてみれば高齢の女性たちが無理して起きていても出来ることはほとんどない。それよりも、いざという時のために体力を温存しておいてもらった方がいい。
タブアに様子を見に行った。街灯はついているのに、煙で全てが薄暗い。普段ならほとんど人影がない時間帯なのに、町は避難者でごった返している。使い捨てマスクが束で、誰でも使えるようにカフェのテーブルの上に置いてある。カフェは避難して来た人びとのために、営業を続けている。
町は、一種お祭りのような、それでいて不安と安堵が渦巻くような、奇妙な興奮に包まれていた。大勢の友人や知り合いがいる。彼らの多くは、ほんの数分前に、道路の両側に迫る炎の間を命からがら走り抜けて来た。彼らの自宅は今、この瞬間、燃えているかもしれない。だが、命は助かった。
7年かけて細部まで丁寧に建てた家が灰になったと聞いてサラは気を失った。消火の手伝いに行った夫の安否がわからないとジュリーは娘を抱えながら動揺する。山火事の怖さはわかってはいたが、自分が被災当事者になるだろうとは、誰も信じてはいなかった。
「炎がすぐそこまで迫っていたのよ。家は燃えてしまったと思うわ」「準備は万端整えていたけれど、火の速度が速くて何も出来なかった。動物達は置いてくるしかなかった」「ネコを呼んだけれど、来なかった。車で走り始めたら追って来たけれど、車を停める余裕はなかったわ。そのうち、見えなくなってしまった」
タブアから帰って村の中心まで様子を見に行くと、隣村から逃げて来た人にここから先には行かれない、火はすぐそこまで来ていると言われた。
家庭用ガスボンベが爆発する音が時折パン、パンと聞こえてくる。ベンフェイタから北上して来た山火事はウチから1.5キロ程の地点まで到達した。炎はベランダから目視できるし、ゴオゴオと燃える音も聞こえる。左側からも、火災前線がこちらに向かっている。ウチに避難して来た友人たちはここも危険そうだとタブアに移動した。煙がもうもうとしている家の中で、湯のみ茶碗を洗いながら、どうせ燃えてしまうならば洗うなんて無駄かも、と思ったが、燃えてしまうとは限らないのだから、やっぱり洗っておこうと考え直した。
スティーブと二人でベランダに座って、三方で燃えている山火事の進行状況を観察する。火が迫ってこない限り、やることは特にない。家にも、庭にも水は撒いた。運良く、水道水にはかなりの水圧があるから、いざという時には庭全体に水を撒くことができる(場所によっては水道水の水圧が下がり、消火には役に立たなかったと後から聞いた)。正面に見えるタブアは煙に包まれ、町の向こう側が燃えている。炎が空中を飛びながら移動するのが見える。時折、白い火柱が立つ。ユーカリの木が燃えているのだろう。タブアよりも、ウチの方が安全そうに見える。
夜はいつまで続くのだろうか。夜が明けた時に、私たちの家は無事だろうか。
隣村まで来た火災前線が足踏み状態となった。逆に、左側の火災前線が近づいてくる。風向きは頻繁に変わる。消防車はどこにもいない。このままの状態が続けば、遅かれ早かれ、山火事は集落に到達するだろう。避難すべきか、それとも留まって消火すべきか。
風が収まって来た。山火事の移動が停止した。ハリケーン・オフェーリアがポルトガル沿岸を通過して更に北上して行ったのだろう。明け方、空が明るくなり始める頃に雨が降り始めた。
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私たちは避難せずに済んだ。焼失場所の地図を見ると、この辺りは両側から迫ってくる火が避けて通った幅4キロ、長さ10キロほどの細い地域(グリーン・ベルト)に入っていた。幸いなことに友人や知り合いは皆、無事だった。だが友人の8割は家屋全焼もしくは半焼、あるいは農地が全焼など被害を受けた。ポルトガル全土では43人が命を落とした。
タブアの消防団はこの日、火の手が上がったベンフェイタ方面の支援に行っているうちに、山火事に遮られてタブアに戻れなくなっていた。更に、6月のベドロガオンの惨事でも問題になっていた、消防団内部の連絡網が使用不能に陥って、命令系統が機能しなかった。
大きな影響を受けた移民コミュニティは、一時、茫然自失していた。家と農地が灰となってしまった現実を、どうやって受け入れればいいのだろう。再建に向けて最初の一歩を踏み出す前に、焼失した家を片付けなければならない。ポルトガルが国として補償を出すというが煩雑な手続きはポルトガル語だ。地続きだと思っていた日常が、突然、分断されてしまった混乱の中で、どこから何に手を付ければいいのか判断ができない。
大火災から2ヶ月近く経った現在、心情的にはかなり落ち着いて来た様に見える。今回はみんなと一緒に頑張れると言うが、新しい生活をゼロからではなく、マイナスから立て直す前途は多難だ。
写真は上から:
ベンフェイタ方面から移動して来た山火事、ウチの右側。
左側から近づいてくるもう一つの山火事。
タブアの町の向こう側をなめる炎。
ウチの1.5キロまで迫って来た炎。




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