アリス、旅立つ

11月1日日曜日の早朝、アリスが逝ってしまった。10月半ばにリスボンで会った時には元気そうにしていたので、そのうちまた、村に戻ってくるかもと多少、期待していた。

一週間前の日曜日には家族と一緒に昼食を食べている。変わったところはなかったのに、翌日に体調を崩して入院。

村に住むアリスの妹ローザがアリスの娘エレナと頻繁に連絡を取り合っていた。一度はアリス本人とも電話で話している。木曜だったか金曜だったか、アリスの家の前でローザに会った。アリスの容体が悪く、人工呼吸器につながれている、だからもう話しもできないと報告してくれた。「人工呼吸器って、じゃあ、コロナなの?」と聞くと、違う、と言う。

「神の御心のままになるしかないのよ、そうでしょ?」 無宗教の私は答えに詰まって「ええ、そうね」と言葉を濁した。

1日の朝、スーパーで買い物をしているとエレナから電話が入った。電話に出る前に用件はわかっていた。入院して亡くなるまでの一週間、コロナのせいでお見舞いが禁止され、入院中、アリスは家族の誰にも会うことができなかった。

亡くなった日の夕方には、11月3日の午後にリスボンでお葬式を出すことが決まった。 本来ならば、村人のお葬式は村の教会で、馴染みの神父さんが執り行う。だが、コロナの感染者数が増加の一途を辿っているポルトガルではアリスを村まで送り届けることができない。火葬して灰を村に持ち帰り、日を改めて偲ぶ会を開こうかとエレナは考えている。

お葬式の当日は、週末の移動制限が1日だけ一時的に解除される日に当たる。2日に週末の移動制限が解除されて、改めて4日から感染者数が高いリスボンを含めた121市で昼間の外出が必要最低限に制限、夜間は外出禁止となる。移動が可能な日にお葬式が出せたのは幸いだった。私たちはお葬式に行くことにした。村からはローザともう一人の妹がそれぞれ息子の車で来ることになった。

お葬式は、モダンな教会の半地下にあるお葬式用のチャペルで質素に執り行われた。 参列者は20人程度だったが、チャペル内部に入れるのは人数制限で10人まで。私たちは開け放されたドアの外でお葬式を見守った。棺はすでに閉じられて、アリスに会うことは叶わなかった。

30分ほどでお葬式が終わると、棺が霊柩車に乗せられて火葬場へ向かった。参列者はそれぞれの車で霊柩車の後ろに続く。30分ほどかけて、ゆっくりと霊柩車が進んだ。火葬場では特に何の儀式もなく、家族が最後の別れを告げると棺は炉に入れられた。

「後は灰を受け取るだけだわ」とエレナが言う。明るく晴れた秋の1日だが、風が強い。休憩所もなければ、腰掛けられるベンチすらない。墓地の中を散歩して、参列者と時々、言葉を交わす。風は収まらず、日が陰ると寒くなった。参列者が一人、二人と帰っていく。夕方5時近くだろうか。私たちも火葬場を後にした。参列者は半数くらいに減っていた。

村では信望の厚かったアリス。コロナがなければ、村できちんとお葬式を出すことができただろう。アリスも、自分の家がある村で村人や友人に囲まれて旅立つことを望んだだろう。アリスがいなくなってしまったなんて、何だか信じられない。

アリス自身は逝く準備はできていたのだろうと思う。70代の頃は「80歳まで生きればもう、十分」と言っていた。最近では「アリスはもう、くたびれたわ」「膝が痛い」「肩が痛くて動かない」と繰り返した。日によってはかなり辛そうで、食欲がなく、何も食べられない日が続くこともあった。

それにしても。入院中にもし、家族がお見舞いに行かれたならば、状況は違ったのではないだろうかと考えずにいられない。回復するだろうと思って家族はアリスを入院させた。まさか急に容体が悪化して、亡くなってしまうなどとは想像もしていなかった。たった一人で、家族に会うこともできず、人工呼吸器にチューブで繋がれる。心細かっただろう。側にいられなかった家族はどんな思いだっただろうか。

同時に、思う。無事に退院することは、アリスにとって幸せなことだっただろうか。私自身はほっとしたと思う。多分、うっすらと罪悪感を感じながら、大事な人の喪失に向き合う時期が先送りされたことで安心したのではないか。

亡くなる二日前の金曜日から、アリスはほぼ意識がない状態で、眠るようにして亡くなったと、所持品を受け取りに行ったエレナに病院は伝えた。せめてもの慰めである。どのような心持ちで逝ってしまったのかは遺された私たちにはわからない。わからないけれど、想像したい。それが逝ってしまった人の魂に心を添わせる、 思いを馳せる、ということのような気がする。

アリスが亡くなって一ヶ月近く経つ。住み続けることが苦痛になってしまった肉体から解放されたアリスは、自由になって村に帰って来ただろうか。庭に出るたびに、閉まったままのアリスの家の2階の窓を見上げてしまう。