ペドロガオンの大火と避難民

 

死者64人と200人を超える負傷者を出してポルトガル史上に残る大惨事となったペドロガオン・グランデの森林火災発生から約一週間。焼失面積は5300平方キロ。出火原因は最初、落雷だとされたが、後になって落雷はすでに火災が4カ所で発生してから2時間経った時点で落ちたという証言が出て来た。ポルトガル政府は犯罪(放火)として捜査すると言っている。

この森林火災は、私達が住む集落からは直線距離にして40〜50キロ程西南。風向きにもよるのだろう、発生当日に影響はなかった。翌日からだ。空が煙で覆われ、黄土色に変わった。ベランダのテーブルは風に運ばれて来た灰でうっすらと覆われた。

週末に出されていた熱波警報は解除されたものの、週が開けても気温は35度を超える日が続いていた。火の勢いは衰えず、ペドロガオン近郊のゴイシュでも火災が発生。多数の友人が住んでいるベンフェイタはゴイシュから直線距離で10キロ程。高台に登れば、森林が燃えている様子が目視できる距離だ。

6月20日火曜日。ベンフェイタ村周辺の谷に住む外国人移民は、村の広場に集まっていた。森林火災が迫って来ている訳ではないが、風向きや強さによって、火がどの方向にどのくらいの速度で移動するかわからない。不安を抱えながら、村の広場で一日過ごしたと言う。

夕方、電話が鳴った。ベンフェイタに住む友人からだった。大火災が始まってから二日間、ろくに寝ていないと言う。3人の乳幼児を抱えて、夜中に突然避難しなければならなくなったら、どこに向かえばよいのかわからないと言う。今晩は帰宅したくないので二家族だが泊めてもらえるか、という問合せだった。

一時間もしないうちに、総勢10人が到着した。二人の母親はどちらも憔悴しきった表情だった。スタジオに布団とマットレスを敷いて、10人が泊まれる体制を整えた。何だか、大震災時の避難所になったようだった。友人家族は2泊して、大火災が収まった頃に帰宅した。運良く、森林火災はベンフェイタには向かわず、鎮火された。

友人たちが怖がったのには理由がある。ヴァルゼアス村では住民の三分の一が犠牲となった。2台の車を使って避難したある家族は、夫が運転していた一台は何とか難を逃れたものの、もう一台は炎に包まれて妻と娘二人が命を落とした。「死の街道」と呼ばれるようになった道路では避難途中に上から降ってくるユーカリの樹皮や燃えながら車の上に倒れてくるユーカリの木、煙で遮られて視界はほとんどゼロ。前に進めなくなった車が後退しようとして後から来た車と衝突する。そんな状況の中で車内で30人、車外で17人が亡くなった。あっという間に炎に包まれ、多数が死亡すると言う悲劇が起きた道路は。この日、「死の街道」を通過して生き残ったのは4人だけだった。

写真は上から、私たちの住む集落の上空に流れて来た煙と避難して来た親子。一番下は上昇気流に乗って家の庭まで飛んで来た、黒こげのユーカリの葉など。