第2日目 ザラゴザ泊

観光シーズンが過ぎたスペインには日常の顔が戻っている。宿の近くのカフェでクロワッサンとカフェ・コン・レイテの朝食後、ザラゴザへ向けて出発。紅葉の美しいドゥエロ川を何度かわたる。途中、ベルランガ・デ・ドゥエロ(Berlanga de Duero)に立ち寄った。今では遺跡となった城や宮殿がある。何世紀にもわたって歴史の波にもまれてきた町である。

長い間、ザラゴザを再訪したいと思っていた。1986年、8月のある暑い夏の日に母とヨーロッパを旅行していた私は多分列車で到着した。バスではなかったと思う。街についてからガイドブックを見ながら照りつける太陽の下、何軒かの安宿で値段を聞いて回った。付き合わされた母は、かなり機嫌が悪かった。

この頃、母の中で海外旅行といえばゴージャスなパッケージツアー。宿泊はいいホテルで、荷物は誰かが運んでくれる。毎日おしゃれな洋服や着物を着て、いいレストランで食事して、バスで名所を訪れて、記念写真を撮る。お友達や家族にたくさんお土産を買って帰国して、旅の話をすればみんなに羨ましがられる、と想像していただろうと思う。

翻って私の旅はバックパックで、宿は格安の相部屋ドミトリー、天気がよければ持って歩いていた寝袋で野宿。移動手段だって可能な限りはヒッチハイク(この頃、ヨーロッパではヒッチハイクは珍しくなかった)だった。つまり荷物を背負っての貧乏旅行。だから、初めて一緒に旅行した時、母はかなりショックだっただろう。流石に野宿もヒッチハイクもしなかったが、母は憧れのヨーロッパまで来て、何でこんなところに泊まらなければならないの! と思ったに違いない。

数日前に、喧嘩をしていた。私のバックパックは10キロほど。母はスーツケースに20キロほどの荷物を持ち、あちこちでお土産を買い込んでいた。そのスーツケースを当たり前のように私に運ばせた。私にしてみれば30キロの荷物である。「そんなにお土産を買い込むなら、自分で運んでよ! 私、もう運ばないから」というようなことを母に言った。お土産を買いたい母は、「いいわよだったら自分で運ぶから!」 売り言葉に買い言葉である。その日から、母は重たいスーツケースを自分で一生懸命引きずることになった。

で、ザラゴザである。暑い夏の日、母は重たいスーツケースを引きずりながら、安宿で値段を聞いて回る私の後をついてきた。見つけた部屋は日本でいう三階か四階で、荷物は当然だが、自分たちで運ばなければならない。エレベータなどない。四苦八苦しながらスーツケースを引きずって階段をのぼる母を見かねて「持とうか?」と声をかけると「いいわよ!」と母は意地でスーツケースを持って上った。その後、荷物を軽くするためにお土産や使わないものを船便で日本に送り返してもらった。いい大きさのダンボール二箱(!)。よくまあそんなにスーツケースに詰め込んでいたと呆れたのを覚えている。母は多分、その後もお土産を買い続けたと思うが、もう覚えていない。楽しみにしていただろうヨーロッパでのお買い物。当てが外れたどころか、心外だっただろうなあ。

ザラゴザの印象は暑かったこと、安宿の階段がきつかったこと、すぐそばに川が流れていたこと、砂漠のように乾燥していたこと、人影がまばらだったこと、そして橋の反対側には乾いた大地が広がっていたこと。どこで何を食べたのか、何を見たのか覚えていない。

38年後の2024年。私たちは街の中心にあるホテル・パリ・セントロに宿をとった。季節は秋真っ只中。街は変わった。路面電車が走り、目抜通りには見慣れた、そしてありきたりのつまらないブランド店が並ぶ。アフリカ系やアラブ系の人が増え、泊まったホテルの受付がアフリカ系スペイン人(或いは元スペイン植民地出身?)だったことに驚いた。私の中の無意識の偏見が露呈する。

母と私は38年前のあの日、エブロ川に並行した路地を2本くらい入ったところに泊まったような気がする。

 

写真は上から

ベルランガ・デ・ドゥエロの街並み
ベルランガ・デ・ドゥエロの城
ホテル・パリス・セントロ
夕闇に浮かぶザラゴザ